| 名 称 | 所 在 地 | 説 明 | 備 考 | |
| 建 物 001 ─ 046 | ||||
| 001 | 旧札幌麦酒会社工場 (現サッポロビール札幌工場第1製造所) |
北2東4〜5 | 明治9年、ビールの製造が開拓使によって始められた。明治25年に建てられた現在の工場は、風格のある赤レンガ造りの建物である。 | 現 サッポロファクトリー |
| 002 | 旧福山商店 (現福山石油ビル) | 北3東3 | 明治40年代、みそ、しょうゆ醸造業の福山商店店舗として建築されたレンガ造りの建物。アーチ型の玄関が特徴的である。 | 現 cafe rosso |
| 003 | カトリック北1条教会 | 北1東6 | 現在の聖堂は、大正5年に建てられた。隣に建つ石造の司祭館 (明治31年建築) とともに、異国情緒を醸し出している。 | |
| 004 | 日本キリスト教団札幌教会 | 北1東1 | 札幌軟石を使用したロマネスク風の現会堂は明治37年に建てられた。創成川に面して、今も古いたたずまいを残している。 | |
| 005 | 東辰医院 | 大通東7 | 大正13年建築の医院。明治末期流行した三角屋根外壁に扇形模様の洋風建築であったが、平成3年取り壊しとなった。 | 平成3年解体 |
| 006 | 旧遠藤醸造店 | 南4東4 | 醸造店舗として明治41年頃建てられたフレンチルネッサンス風スタイルの石造建物。平成7年「イシヤ・チョコレートファクトリー」(宮の沢2-2) に移築復元された。 | 平成2年解体 平成7年移築復元 |
| 007 | 秋野総本店薬局 | 南1西1 | 明治34年に建てられた建物で、切妻屋根に白壁の土蔵造りと石蔵を備えた店がまえは、明治時代の商店の雰囲気をしのばせる。 | |
| 008 | 豊水小学校大典記念文庫 | 南8西2 | 市内の学校図書館の先駆けとして、大正5年に建てられた。昭和61年に修復し、学習展示室として利用されている。 | |
| 009 | 浅野邸 | 南5西8 | 大正2年、浅野家の邸宅として建てられた純和風の木造建築。昭和60年から茶房として利用されている。 | 現 茶房あさの |
| 010 | 東本願寺札幌別院 | 南8西8 | 札幌では最も古くから布教された浄土真宗の寺院。境内には、明治4年新潟より移築された旧御堂、同25年建築の現本堂山門などがある。 | |
| 011 | 旧小熊邸 | 南1西20 | 建築家田上義也の代表的作品の一つで、昭和2年北大教授小熊捍の邸宅として建てられた。 | 平成10年解体移築 現 ろいず珈琲館 「旧小熊邸」 |
| 012 | 旧藪商事ビル (現三誠ビル) | 南1西13 | 鉄筋コンクリート造りでは市内で最初の貸し事務所ビル。大正13年の建築で、柱や梁を素直に表面に出した質実簡素なデザインとなっている。 | |
| 013 | 杉野目邸 | 南19西11 | 昭和8年、北大教授杉野目晴貞の邸宅として建てられた。ポーチや多くの窓に半円を用いるなど中世イギリス風デザインの流れをくんだ建物である。 | |
| 014 | 旧北星女学校宣教師館 (現北星学園創立百周年記念館) | 南4西17 | 札幌に多くの優れた建物を残したスイス人、M・ヒンデルの設計により大正15年に建築された木造3階建ての建物。 | |
| 015 | 北海道拓殖銀行旧本店 | 宮の森904 | 明治42年、大通西3丁目に拓銀の本店として建てられたルネッサンス風の重厚なデザインの建物。昭和34年現在地に移築され、保存されている。 | 平成14年解体 |
| 016 | 大倉シャンツェ (大倉山ジャンプ競技場) | 宮の森1274 | 大倉男爵が資金を提供して、昭和6年に完成した。昭和47年の冬季オリンピックに際し、世界有数の90m級ジャンプ台に改修された。 | |
| 017 | 知事公館 | 北1西16 | 昭和11年、三井財閥の迎賓館「三井クラブ」として建てられた。昭和28年より知事公館となり、昭和49年から市民にも開放された。 | |
| 018 | 旧札幌控訴院 (現札幌市資料館) | 大通西13 | 大正15年、控訴院として建てられ、昭和48年まで札幌高等裁判所として使われた。外壁に札幌軟石を使用した貴重な建物である。 | |
| 019 | 伊藤邸 | 北5西8 | 大正10年頃、伊藤組創業者伊藤亀太郎の邸宅として建てられた。白のラインを強調した欧米風デザインの建物。 | 平成6年解体 |
| 020 | 旧札幌博物場 (現北大農学部附属博物館) | 北3西9 北大植物園内 | 明治15年、開拓使の博物場として建てられ、明治19年に札幌初の本格的な博物館となった。開拓使最後の洋風建築。 | |
| 021 | 旧バチェラー邸 (現バチェラー記念館) | 北3西9 北大植物園内 | 宗教家・社会事業家として功績のあったバチェラー博士の住宅として明治31年現在の北3条西7丁目に建てられた。昭和36年現在地に移築。 | |
| 022 | 中央警察署 | 北1西5 | 昭和9年に完成した鉄筋コンクリート造り、警視庁の旧建物をモデルにしたとも言われ、北1条通りに面した玄関部分を湾曲させたモダンなデザイン。 | 平成8年解体 一部復元 |
| 023 | 旧庁立図書館 (現道立文書館別館) | 北1西5 | 大正15年、道内初の公立図書館として建てられ昭和42年から三岸好太郎美術館として使われた。古典様式を基調とした落ち着きのあるデザイン。 | |
| 024 | 旧札幌農学校校舎 | 北9西8 | 農学部前には明治34、35年に建てられた旧昆虫学及び養蚕学教室、旧図書館読書室、書庫など農学校時代の建物が残っている。 | 北海道大学構内 |
| 025 | 古河記念講堂 | 北9西7 | 明治42年の建築。左右両翼にマンサード屋根をかけ中央に小塔をおくなど木造洋風建築の代表的な建物の一つである。 | 北海道大学構内 |
| 026 | 旧藤高等女学校校舎 (現キノルド記念館) |
北16西2 藤学園内 | 大正13年、スイス人建築家M・ヒンデルが設計し、「玉ねぎ塔の校舎」と呼ばれ、長く学生から親しまれてきた建物である。 | 平成13年解体 |
| 027 | 新琴似屯田兵屋 | 新琴似1-5 | 新琴似には明治20、21年、西日本各地より220戸が入植した。屯田兵屋が現存しており、当時の生活をしのぶことができる。 | |
| 028 | 近藤牧場 | 新川694 | 牧場内には、大正14年に建てられたという木仕上げの珍しいサイロが残っており、貴重な牧歌的風景をもたらしている。 | |
| 029 | 篠路屯田兵屋 | 屯田5-6 | 明治22年に札幌では4番目の屯田兵村が篠路に開設された。当時の屯田兵屋が資料館内に復元され、館内には、屯田兵に関する資料も展示されている。 | 屯田地区センター 郷土資料館 |
| 030 | 篠路駅周辺の倉庫群 | 篠路3-7 | 昭和10年、札沼線の開通により篠路駅周辺には石造りやレンガ造りの倉庫が建ち並び、現在も独特の雰囲気をつくっている。 | |
| 031 | 北海湯 | 北7東3 | 市内の銭湯では最も古いものの一つ。アーチ型の窓や白色タイルを用いるなど当時としてはモダンな建築様式であった。 | 現 STUDIO BAR 北海湯 |
| 032 | 旧菊亭脩季邸 | 北7東8 | 北海道開拓に情熱を燃やした菊亭侯爵の邸宅。明治20年代に建てられ、和風建築の中に洋風の生活スタイルがとり入れられている。 | 平成9年解体 |
| 033 | 旧札幌製糖会社工場 (現サッポロビール札幌工場第2製造所) |
北7東9 | 明治23年、札幌製糖会社の工場として建てられたもので、明治36年札幌麦酒会社の所有となった。札幌の赤レンガ建築を代表する建物である。 | 現 札幌ビール博物館 |
| 034 | 本龍寺の妙見堂 | 北14東15 | 慶応4年、大友亀太郎が元村開拓に際して創建したもの。島判官が、彼に贈ったといわれる妙見菩薩がまつられている。 | |
| 035 | JR 苗穂工場 | 北5東14 | かつて「苗穂工機部」といわれ、多くのSLが製作された。明治末期のレンガ造りの建物が残っており、その1つが「鉄道技術館」になっている。 | |
| 036 | 旧馬場農場のサイロ | 厚別中央2-3 | 昭和2年、馬場和一郎の農場内に造られたサイロ。昭和34年市営団地造成後も団地のシンボルとして保存されている。 | ひばりが丘団地内 |
| 037 | 旧出納邸 | 上野幌1-5 | 牧場経営者出納陽一郎の邸宅として大正14年に建てられた。マンサード屋根など大正時代に流行した札幌の住宅建築様式の代表的なものである。 | |
| 038 | 恵庭荘 | 上野幌1-5 | 明治26年、呉服商の私邸として、京都の宮大工により建てられたという純和風の建物。昭和39年現在地に移築した。 | |
| 039 | 旧北部軍司令官官邸 (現つきさっぷ郷土資料館) |
月寒東2-2 | 明治29年、月寒に歩兵25連隊が置かれ、さらに昭和16年、北部軍司令部が置かれたのに伴い司令官官邸として建てられたレンガ造りの建物。 | |
| 040 | 八紘学園の洋館と牧舎 | 月寒東1-12〜13 | 昭和2年、農業経営者育成のため創設された学園内に、洋館 (現栗林記念館) 、めん羊舎 (現農業資料館) 、石造サイロなどの建物が保存されている。 | |
| 041 | 旧石山郵便局 | 石山2-3 | 石山街道沿いに残る軟石造りの建物 (昭和10年代建築) で、アーチ型の玄関など当時札幌で流行した洋風石造建築のおもかげが残っている。 | |
| 042 | 旧真駒内種畜場事務所 (現エドウィン・ダン記念館) |
真駒内泉町1 | 明治9年、エドウィン・ダンが指導した真駒内種畜場の旧事務所 (明治13年建築・木造) が、現在記念館として移築、保存されている。 | |
| 043 | 旧有島武郎邸 | 常盤75 | マンサード屋根を使った洋風住宅の先駆け (大正2年建築) で、作家有島武郎が自らデザインにかかわったものと言われている。 | 札幌芸術の森内 |
| 044 | ヘルヴェチア・ヒュッテ | 定山渓 | M・ヒンデルが、当初個人用に設計したヒュッテ (昭和2年建築) 。手稲山のパラダイスヒュッテと空沼小屋も彼の設計である。 | |
| 045 | 三谷牧場 | 発寒8-13 | 大正初期に建てられたと思われる木造洋風住宅で、昭和初期に現在地に移築。サイロや牛舎、ポプラ並木など、市街地に貴重な牧場風景を残している。 | |
| 046 | 旧軽川駅舎 | 手稲本町1-3 | 昭和9年、手稲の山小屋にちなんで丸太組で作られた駅舎である。現在は喫茶店として利用されている。 | 平成11年解体 |
| 遺 跡 047 ─ 072 | ||||
| 047 | 島義勇とコタンベツの丘 | 宮ケ丘 | 開拓判官島義勇が、眼下に広がる原野をながめ、札幌の街づくりを構想したとされる丘で、現在の円山付近がそのあたりとされている。 | |
| 048 | 札幌焼窯跡 | 界川4 | 焼物の入手が難しかった明治から大正にかけて、登り窯による陶器の生産が行なわれた。旭山公園への道路沿いに、当時の窯跡がある。 | |
| 049 | すすきの遊郭跡 | 南4〜5 西3〜4 | 明治4年、開拓判官岩村通俊により、現在の南4条周辺に遊郭が設けられた。大正8年に遊郭が白石に移った後も、歓楽街として発展した。 | |
| 050 | 札幌建設の地 | 南1西1 | 明治2年、島判官の構想により、札幌の街づくりの基点とされ、今日の札幌の発展の出発点となった場所である。 | |
| 051 | 遠友夜学校跡 | 南4東4 | 明治27年、新渡戸稲造が貧しい家庭の子弟のために設立した夜学校。札幌市勤労青少年ホーム「Let's 中央」内に、記念室が設けられている。 | Let's 中央 |
| 052 | 吉田茂八ゆかりの地 | 南5東4 | 吉田茂八は、安政4年志村鐵一とともに豊平川の渡し守となり、札幌の開拓に功績を残した。豊平橋のたもとの公園に「札幌開祖吉田茂八碑」がある。 | |
| 053 | 札幌農学校とクラーク博士 | 北9西7 |
W・Sクラークは明治9年、札幌農学校の教頭として来日し生徒たちに大きな影響を与えた。 "Boys,Be,Ambitious !" の言葉は有名である。 |
北海道大学構内 |
| 054 | 北大遺跡保存庭園 | 北18西11〜12 | かつて、この一帯は多数の泉が湧き、擦文時代の漁猟基地であった。竪穴式住居の跡が残っており、先住民族の歴史を知る貴重な遺跡の一つである。 | 北海道大学構内 |
| 055 | 偕楽園跡 | 北7西7 | 明治4年、開拓使によって作られた日本で初めての都市公園。現在の公園内には市指定の文化財「清華亭」が残る。 | 北7条かいらくえん公園 |
| 056 | 荒井金助と早山清太郎ゆかりの地 | 篠路町上篠路226 龍雲寺 | 荒井金助は幕府の役人として、早山清太郎は入植者として篠路の開墾や水田米作に先駆的な役割をはたした。篠路の龍雲寺に2人の墓がある。 | |
| 057 | 篠路の馬魂碑・馬頭観音 | 篠路町拓北山口太師内他 | 「篠路ペルシュロン」として知られた馬産地篠路には、農耕馬の魂を慰めるため数多くの馬魂碑、馬頭観音が残っている。 | |
| 058 | 藍栽培ゆかりの地 | 篠路町拓北 | 明治15年、滝本五郎が篠路村で、「藍」の栽培に成功した。「あいの里」の地名はこれに由来している。 | |
| 059 | 大友堀跡 | 北13東16 | 幕府から石狩開拓の命を受けた大友亀太郎が、御手作場 (農場) を開くため、全長4qにわたって慶応2年に開削した堀割。 | 大友公園 |
| 060 | 日の丸農場跡 | 北41東10 | 明治10年、北海中学創始者の浅羽靖らが開墾した。現在は「ひのまる公園」となって市街地に貴重な緑をもたらしている。 | ひのまる公園 |
| 061 | レンガ工場跡 | 本通9南 | 明治20年代、現在の白石区、豊平区の一帯では良質の粘土が産出された。赤レンガの生産は明治時代の札幌の重要な産業の一つであった。 | 鈴木レンガ工場跡 |
| 062 | 白石入植の地 | 本通14北1 | 明治4年、宮城白石藩士らが望月寒川一帯に入植し、後の白石村の礎を築いた。白石神社の境内に「白石開村碑」がある。 | 白石神社境内 |
| 063 | 志村鐵一ゆかりの地 | 豊平4-1 | 安政4年幕府の命により豊平川の東岸で、渡し守と駅逓を営み、対岸の吉田茂八とともに札幌に和人が定住した始まりといわれる。 | |
| 064 | 平岸リンゴ園跡 | 平岸2-17 | 平岸は、明治初期から大正時代にかけて、全国的にも有数のリンゴ生産地に発展し、「平岸リンゴ」の名で知られた。 | 平岸林檎園記念歌碑 |
| 065 | 平岸の開拓と精進川 | 平岸 | 明治4年、平岸地区に入植した人々が精進川から水を引き、現在の平岸街道沿いに堀割を作った。白石に至る水田の基礎となったもの。 | |
| 066 | アンパン道路 | 月寒西4-6 | 月寒から平岸に至る道路の工事の際、従事した歩兵25連隊の兵士らにアンパンが配られたことに由来して、食物の名前がついた珍しい道路である。 | アンパン道路記念碑 |
| 067 | 伝説・おいらん淵 | 真駒内柏丘12 | 明治末、薄野遊郭で働く一人の遊女 (花魁) が今の藻南公園のがけから豊平川へ身を投げたという伝説がある。 | 藻南公園 |
| 068 | 石山軟石採掘場跡 | 石山78 | 明治8年に発見された軟石は、大正期にコンクリートが進出するまで、洋風建築の資材として注目され、積極的に採掘が行なわれた。 | |
| 069 | 本願寺街道 | 簾舞 | 明治4年、北海道開拓に協力を申し出た東本願寺によって開削された虻田から札幌に至る道路で、後に国道230号線の原形となったもの。 | 簾舞中学校周辺 |
| 070 | 旧定山渓鉄道 | 定山渓温泉 豊平4-9 旧豊平駅 |
大正7年誕生。木材や鉱石の運搬のほか、定山渓温泉の発展に大きく貢献したが、昭和44年、その役割を終え廃止された。 | |
| 071 | 琴似屯田開拓の道 | 琴似 | 明治8年、札幌初の屯田兵村が設けられた。現在、史跡を結んだルートが整備されており、「屯田兵が歩いた道」として市民に親しまれている。 | |
| 072 | 時習館跡 | 宮の沢1南1 | 明治4年、手稲に入植した宮城白石藩士、三木勉は、自宅を私塾として開放し、「時習館」と名づけ、子弟の教育にあたった。 | 時習館記念碑 |
| 街 並 073 ─ 091 | ||||
| 073 | 円山八十八ヶ所 | 宮ケ丘 | 大正3年、円山開拓の功労者上田万平らにより登山道が開かれ、弘法大師を奉り、四国八十八ヶ所にちなんで八十八観音が置かれた。 | |
| 074 | 裏参道 | 南2西20〜28 | 明治4年建立の札幌神社へ市街から至る道として作られた通りで、大正9年には「裏参道」と言われた。 | |
| 075 | 円山の朝市 | 北6西24 | 明治26年南1条西11丁目付近で始められた市内で最も古い蔬菜市場。昭和28年には現在地で開かれるようになった。 | 平成9年閉鎖 |
| 076 | 桑園の大学村 | 北6西11〜13 | 明治後期より北海道大学の教官が多く住むようになった地区。木造洋風の住宅が今でも数多く残っている。 | |
| 077 | 木レンガ舗装とイチョウ並木 | 北3西4 | 大正13年、本市では初めて木レンガによる舗装が行なわれた通りである。翌14年にイチョウ32本が植えられ、今も美しい並木となっている。 | |
| 078 | 北大植物園 | 北2西8 | 札幌農学校教頭、W・Sクラークの進言により作られた日本初の近代的植物園。原生林、擦文時代の住居跡が残っている。 | |
| 079 | 北1条通りのアカシア並木 | 北1西1〜19 | 開拓使により、札幌神社 (現北海道神宮) への参道として作られた通りで、明治4年にニセアカシアが植えられた。 | |
| 080 | 大通公園 | 大通西1〜12 | 明治4年、「火防線」として設けられたのが始まり。戦後は雪まつりや夏まつりの会場となるなど、札幌の顔とも言える公園である。 | |
| 081 | 中島公園 | 中島公園 | 明治17年より、物産共進会などが開かれたり、スケートリンクや野球場が造られるなど、文化、スポーツの中心として賑わった。 | |
| 082 | 山鼻屯田兵村跡 東屯田通・西屯田通 |
南6〜22 西8〜13 | 明治9年、琴似に続き札幌で2番目に屯田兵村が設けられた地区。かつて兵屋が建ち並んだ通りは、現在東屯田通、西屯田通と呼ばれている。 | |
| 083 | 狸小路 | 南2西1〜9 | 札幌で最も古い商店街。明治の初め、私娼が出没して、道行く人をだましたことから狸の名がついたとも言われている。 | |
| 084 | 二条市場 | 南2〜3 東1〜2 | 明治36年、魚小売商が小屋を建てて商売したのが始まり。市民の台所として長く親しまれ、現在は多くの観光客も訪れる。 | |
| 085 | 創成川と創成橋 | 南1西1〜東1 | 幕末に大友亀太郎により開削された農業用水路が始まり。現在の橋は明治45年建造の市内で最も古い橋である。 | |
| 086 | 創成川通りのポプラ並木 | 屯田1〜6 | 明治末頃、篠路地区に入植した人々によって牛馬の進入を防ぐために植えられたのが始まり。創成川に沿って3qにわたり美しい並木が続いている。 | |
| 087 | 屯田防風林 | 屯田 | 大正11年、厳しい季節風から農作物を守るために、屯田地区に植えられ、約8qに及ぶ樹林帯をつくっている。 | |
| 088 | 北大ポプラ並木 | 北11〜12西10 | 明治36年、札幌農学校の農場内に、実習用に植えられたのが始まりで、牧歌的風景のシンボルとして全国的に有名になっている。 | |
| 089 | 元村街道と大覚寺の山門 | 北7〜10 東3〜11 | 元村街道は、古くから石狩より札幌本府に至る唯一の重要な陸路であった。寺の入口には、道内最大級の山門 (大正9年完成) がある。 | |
| 090 | 旧月寒種羊場 (現北海道農業試験場) |
羊ケ丘 | 前身は、日本のめん羊のメッカとなった月寒種羊場で、羊ケ丘の地名もここからきており牧歌的な風景は全国的にも有名。 | |
| 091 | 定山坊と定山渓温泉 | 定山渓温泉 | 定山渓温泉の名は、幕末にこの一帯を探索し、後に開拓使より湯守を命ぜられ、温泉の開発に努めた美泉定山坊にちなむものである。 | |
| 用 具 092 ─ 096 | ||||
| 092 | スキー、スケートの伝来 | 中島公園1-3 | スケートは、明治10年、札幌農学校のアメリカ人教師が持ち込んだのが始まり。スキーは明治41年、スイス人教師により日本で初めて紹介された。 | 冬のスポーツ博物館 |
| 093 | バター、チーズ製造用具 | 苗穂町6 | 大正14年、酪農家たちが集まって設立した「北海道製酪販売組合」(現在の雪印乳業) で使われていたバターやチーズなどの製造用具が陳列されている。 | 雪印乳業史料館 |
| 094 | 貯炭式のストーブ第1号 | 厚別町小野幌 | 石炭が暖房に使われるようになり、人々の冬の生活が大きく変化した大正末期のストーブが収蔵されている。 | 北海道開拓記念館 |
| 095 | 路面電車22号 | 真駒内東町1 | 大正7年、札幌の街に初めて登場した最も古い型式の路面電車が保存されている。この電車は昭和11年まで市民の足として活躍した。 | 交通資料館 |
| 096 | ササラ電車 | 真駒内東町1 | 大正14年、技師が竹のササラをヒントに考案した除雪用の電車にこの通称がつけられた。現在も冬季間市内を走っており、札幌の冬の風物詩の一つ。 | 交通資料館 |
| まつり・行事など 097 ─ 100 | ||||
| 097 | 札幌祭り | 明治4年、札幌神社の例大祭として始まり、奉納相撲や見せ物小屋など娯楽の少なかった開拓時代の楽しみの一つとなっていた。 | 6月14日宵宮 15日16日本祭り | |
| 098 | 篠路の獅子舞 | 篠路4-7 | 篠路烈々布地区に入植した人々の故郷、富山県に伝わる獅子舞。現在「篠路獅子舞保存会」の人々によって継承されている。 | 篠路神社 |
| 099 | 恵廸寮歌「都ぞ弥生」 | 北17西9 | 札幌農学校の寄宿舎「恵廸寮」の寮歌として明治45年に作られた「都ぞ弥生」は日本三大寮歌の一つに数えられ、学生に歌い継がれている。 | 「都ぞ弥生」歌碑 |
| 100 | 藻岩山の山開き | 藻岩山 | 明治19年、山道がつくられ、山開きが行なわれたのが始まり。6月1日の山開きは、大勢の若者で賑わう。 | |